26 同級生

博士な友達

 
どうしてかと言うと、私にも子ども時代や学生時代があったから。
小さい頃から社会人になるまでに色々と同級生ができてきたわけだけど、振り返ると当時は想像もつかなかったことが自分を含めた同級生に起こっている。
 
職業だけを見てもピアノの先生になった人、銀行員になった人、銀行員になったけど青年海外協力隊に入ってパプアニューギニアへ農業を教えに行ったと思ったら、看護学校の教壇に立っていたりする人。旅行会社に入社して何度か転職して、また旅行関係の会社に入った人など。
 
今回は、そんな中で私の知る限り唯一という「博士」になった同級生の話。
彼の名前はT安君。高校時代の同級生で、一浪後隣県の某大学へ進学・卒業したのに飽きたらず九州の某大学に再入学。ドクターコースを選択したので、そこで6年間を過ごしたというとっても勉強好きな男で、この段階で博士号を取得したそうな。
 
で、卒業後日本国内では就職先がなかったため、なんと彼はドイツへ渡ってあちらの大学で細菌の研究を何年もしていた。その頃の日本はインターネット夜明け前、一部の人たちの間でパソコン通信がもてはやされていた時代だった。私が初めてパソコンなるモノを買ったのもちょうどこの頃で、最初はアクアゾーンという熱帯魚を飼うシミュレーションゲームをしたいためだけに34万円も出費した記憶がある。
 
CPU速度72Mhz、ハードディスク容量500MBという今では性能的にも価格的にも比較にならないものだったが、NiftyServeという当時国内最大のパソコン通信をかじり出した時、コミュニケーションツールとしてのパソコンの威力を知ることになったわけ。(おやぁ、同級生の話ではかったのかぁ、ま、いいか。)NiftyServeを全く知らない人のために、というか私もあまり知らないけど、とにかくe-mailが使えたわけ。
 
それで、ちょうどT安君がドイツにいることを知って彼とe-mailでやりとりをするようになったわけだけど、紙のメールならAir mailでも片道で1週間、往復で2週間掛かるやりとりが、e-mailだと送信後30分くらいで返事が返ってきたりすることに驚愕したものだった。今の携帯電話メールみたくプッシュ型のe-mailはなく、相手がメールアプリを立ち上げていない限りメッセージが届かない上に、返事を書くというかタイプする時間を考えると正に「すぐ届く」という感覚だった。
 
この時、彼は既に30歳を超えていたけど、私の母親からの情報とメールのやりとりの流れで帰国に合わせて見合いをするかという話になった。当時6万円を投じて購入したフラットベッドスキャナで、見合い相手の女性の写真を最小限の範囲でパソコンに取り込んでファイルを3つに分けて圧縮をかけて3通のe-mailに添付して送った。
 
なんでそんなメンドーなことをするんだと思う人もいるかも知れないけど、当時は通信速度の低さやe-mailに添付できるファイルサイズの制限からそうせざると得なかったワケ。そこまで苦労して送った写真だけどT安君の方で元に戻すことができないという悲しい結果になって、それが理由ではないけど、お見合いの話も実現しなかった。
 
さて、先述したように彼が研究をしていたのは細菌。詳しくは知らないけど、イメージは白衣を着て研究室に閉じこもり顕微鏡を覗いている姿しか浮かんでこない。当然、女性と交流のチャンスもサラリーマンとかと比較すると随分少ないのは想像に難くないし、細菌を研究している女性スタッフが大勢いるとは思えない。
 
街に出てナンパをしようにも女の子に、「仕事は何をしてるの?」と聞かれて「細菌の研究をしています。」って返事したら「きゃー ステキー カッコイー」って反応する人は皆無に違いない。大抵は「どん引き」だと思う。
 
というわけかどうかは知らないけど、彼が結婚したのは随分後になってから。
カフェを借り切って催された結婚式に招待されて会ったわけたけど、うーむ、太ったなあと思ったくらいで、特に変わった印象はなかった。私には「博士」というよりやはり「友達」である。研究や勉強のしすぎで結婚しないんじゃないかと思っていたりしたのでよかったよかった。
 
ちなみに、引き出物の中に当時はまだ普及が進んでいなかったUSBスティックが入っていた。研究に必要とはいえ、昔からパソコンを使っている彼らしいチョイスで、「使える引き出物」として今でも我が家で活躍している。
 
現在は、子どももできて国内に住んでいる。会う機会は滅多にないけど、そのうち何か細菌がらみで画期的な発見をしてノーベル賞をもらったりしてくれないかと勝手に期待している。
 
 
 

(2011.5.28作成)