25 ずーっと昔のコト
ハズカシイ過去
昨年、新型インフルエンザが大流行したときに爆発的に売れたのがマスク。町中の人がみんなマスクをしている状況は正に異常事態。今年は今のところ「いったいあの騒ぎはなんだったの?」っていうほど静かだケド、、、。
さぁて、あれは今を去ることン十年程前、ワタシが高校生をやってた時の話。ワタシは、某市立の高校に通っていたんですが、「勉強をした!」という記憶があまりありません。そもそもその高校を選んだ理由は進学のためとか校風が好きでというのではなく単に”部活”でした。その部活の名前は「音楽部」。
音楽と言うとジャンルが広いですが、ワタシがやっていたのは「うた」。一応「ウタ」ではありませんが「歌」でもありません。つひに隠されたハズカシイ過去を自ら暴くまでにネタに困窮してるのかと思う人もいるかもしれませんが、そういうワケではなく、バラしてもいいかというキブンになったからであります。このColumnというかHP全体がシュミでやっているので、その時の気分で雑文が公開されていくのは自然な流れかと。
話を戻しましょう。ワタシを知る人の中で、なぜかワタシはスポーツ系と思われていることがあるようですが、そうではなくブンカ系なのです。中学2年の頃、音楽担当の先生が佐々木先生という人で、後にN○K全国学校音楽コンクールで全国3位にまで生徒を導きあげた凄腕の先生。その先生に音楽の授業中、「昼休みに練習しょーるけん、いっぺん見にきーまい。」と言われて合唱部の昼練を見に行ったのが運の尽き・・・イヤイヤ事の始まりでした。
20〜30人程が同時に歌っているとはいえ、その声量の大きさというか迫力に圧倒され、ちょうどその直後に先生が体調を崩されお休みをとられたので、帰ってきたときにワタシと同じように呼ばれた連中が誰も残っていないのでは気の毒な気持ちもあって律儀に通っていたら、気がつけば男子生徒では珍しい専属の部員(当時1つ上の先輩と2人)になっていました。女子は皆専属でしたが、男子生徒は主に体育系の部活と兼任か大会とかの緒戦であっさり敗退したところを佐々木先生に引きずり込まれ、いや、誘われてきた人が殆どでした。
こんな事を書くと、ひょっとすると伊依粒は「うた」が上手いんではないかと勘違いをする人がいるかも知れませんが、残念ながらリズム感・音感ともにかなり怪しいのであります。(いかんいかん!話がどっちへ向いて行っきょるか分からんようになってしもーたではないかっ!)
えーと、部活を続けるために高校を選んでラッキーなことに入学できたので、ワタシは当然のように音楽部へ入部した訳ですが、当時の先輩方の男子部員勧誘は、まるで人さらいのような強引さでした。鞄を取り上げて音楽室へ引き込むのは当たり前、中には両手両足を捕まれ4階にある音楽室まで担ぎ上げられたのもいます。ちなみに、この人さらい状態で入部した男は、当然のように練習をサボって当時流行っていたゲームセンターへ通い詰めていましたが、3年になる時にパートリーダーになっていたから人間わからないものです。
結局、自ら入部した男は別の高校で音楽教師をしていた人の息子で音楽科のやつと、普通科のワタシのたった2人だけ。でも、先述の犯罪的勧誘のおかげで結構な部員数となり、なんと1年から3年の男女全体で120人を越えるという、とてつもない大所帯になっておりました。
その音楽部の年間行事として、定期演奏会という自己満足完全燃焼型行事や合宿練習という朝から晩まで声がかれて血を吐くまでやりまっせ型行事とは別に、N○K全国学校音楽コンクールと全○本合唱連盟主催のコンクールの2種類のコンクール出場があって、前者は人数制限のため3〜2年生による選抜で出場していましたが、後者はそんな制限がなく、しかも県大会は出場さえすれば全団体クリアできたので、大勢で四国大会出場という名目の下、隣県に泊まりがけで行ったりしてました。さらには、全国高校文化祭というのがあってワタシが在籍中には金沢や秋田までバスや新幹線とかで行ったりしており、内輪で別名「旅行部」とも呼ばれていました。
で、一応演奏が目的なので、のどには気を遣っていた訳です、ハイ。遠征の道中、神経質なまでにのどをいたわるためマスクをしていたりしました。これが数人ならなんでもないんですが、100人程にもなると怖いモノがあります。想像してください。新幹線の中を車両から車両へ移動していて、ある車両のドアが開いたら、その車両の全席がマスクをした高校生で埋め尽くされている光景を。下手な新興宗教団体の集まりよりもずーっと気色が悪いのです。
(2003.3.8作成、2010.11.3加筆校正)