38:妄想力学
妄想エッセー
これまでに一番衝撃を受けた言葉というと、以前の職場にいた頃に耳にした「妄想力学」というものである。その言葉を発したA木さんと私は、お互い顔を見たことがある程度の仲でしかないのだが、先々月になって彼からコンタクトがあった。
A木さん曰く、私が趣味で公開しているこのWebサイトを見た人から彼に連絡が入り、是非ともある所に来て欲しいということであった。一瞬、何か新興宗教か政治団体への誘いかと警戒したが、「妄想力学」について興味がないかと問われた時点で警戒心は吹っ飛び、身を乗り出して話を聴いてしまった。このWebサイトをよく知っている人ならご存知かもしれないが、私は妄想好きである。時に妄想が暴走して止まらなくなることもあって自分でも困惑することがある程である。
さて、彼の話によると、国内では一箇所、千葉県に妄想に関する研究機関があるという。そこの研究員が行なっているリサーチ――つまり、妄想力を持っていそうな人材を探しているわけだが、そのリサーチに私が引っかかったというわけである。ま、普通なら丁重にお断りするような話なんだけど、何しろ妄想好きの私であるから、A木氏の話の要点を耳にした時から妄想力学の研究に対する妄想が爆発的に頭の中で広がり、彼の話が終わる前に「行く」と返事してしまったほどだ。
その後、コロナ騒動が起こったり、人事異動で仕事が大変になって体調を崩したりしているうちに、あっという間に5年ほどが過ぎてしまったが、今年の3月20日に10年以上前からリアルな知り合いになったミュージシャンM下氏のライブがあって、一泊二日で上京する機会があった。それで、何年も前に元デジタルステージというソフト会社の社長をしていたH野氏が繰り広げた「みんダビ学園」という動画編集ソフトを勉強しようというオンライン上のイベントで知り合って、リアルでも会ったこともある方とライブ翌日にお会いすることに当初はなっていたが、彼女に急な仕事が入り2日目が丸々開くことになったので、A木氏に連絡を取りその妄想研究機関を訪ねることができるようアポイントを取ってもらった。
詳しい場所は言えないが、とりあえず千葉県の富浦駅まで私は向かうことになった。潮風に包まれながら、レンタカーを南方面に走らせ平日の道路は観光客も少なく、空は高く澄んでいた。
駅前の駐車場で迎えてくれたのは、なんとあのA木氏であった。お互い少し照れくさい挨拶を交わし、私はそのまま彼の車へ乗り込む。そこから走ること三十分余り。最初は南に向かっていたと思えば、東へ、また北へと方角が目まぐるしく変わる。土地勘のない私にはすぐに方向感覚が失われた。途中、「南房総 忍者の里」と書かれた看板が見えたが、A氏は道を通り過ぎる。やがて車は山間の細い道へと入り、ダム湖の脇をさらに奥深く進んでいった。
そして、左奥には滝が見え、車の正面には岩肌がそそり立っていた。どう見ても行き止まりだと思ったその時、A木氏がリモコンのようなものを取り出して何かボタンを押したかと思うと、おもむろに車を岩肌へ向けて発進させた。
「ち、ちょっと……」
反射的に身を固くして右を向き、目を瞑ったが、車が山に突っ込む衝撃は全くない。恐る恐る目を開けると、気がつけば車は四角いコンクリートのトンネルを静かに進んでいた。
「これは……」
思わず声が漏れると、A木氏は「大丈夫です」と一言だけ返し、運転を続ける。
ほどなくして車は、コンクリートに囲まれた広い空間へと滑り込んだ。エンジン音が反響して響く。車が止まると、A木氏は「着きました、降りてください。」と言った。
外に出てみると、そこは円筒形の巨大な空間で、高いガラス天井の向こうには、地上の樹々が陽光の中に透けて見えている。壁面には幾つものドアが並び、不思議な無機質さと近未来感が共存していた。
A木氏は無言でそのうちのひとつのドアへ向かって歩き出したので、私も慌てて後に続く。自動ドアは音もなく開き、その先にはソファとテーブルが置かれた応接スペースが現れた。
「ここに座って待っててください。」
そう言い残して彼は右手奥のドアを開け、姿を消す。静かな部屋にひとり取り残されると、先ほどまでの妄想力学研究の興奮と、ここが本当に“アジト”であるという現実感のギャップに胸がざわつく。
数分後、彼が再び現れた。今度は私に、正面の別のドアから中に入るように促す。ちょっと、というか結構な不安を覚えつつも、私は言われるままにドアノブに手をかけ、中へ進んだ。そこは先ほどよりも狭い部屋で、天井も低く、白を基調とした内装に所々銀色のパネルが埋め込まれている。部屋の中央には、映画の中でしか見たことがないような、仰々しく大掛かりな装置にぐるりと360度ケーブルが巻き付けられ、何本ものアームが生えた椅子と、巨大なヘッドギアが備え付けられていた。まるで脳波研究とMRIとSF映画の小道具が一体化したようなその装置は、見るからに“ここで何かとんでもないことが行われる”というオーラを発している。部屋の端にはパネルを見つめる白衣姿の男女が数名、無言で作業をしていた。
A木氏が近づいてきて、装置の説明を始める。
「これが妄想力測定装置です。“妄想力学”に基づき、脳の妄想活動の強度を測定することができます。大丈夫、痛みはありません。リラックスしてください。」私が椅子に座ると、白衣の女性がヘッドギアを頭にそっと被せてくれた。ひんやりとした金属の感触と、締め付けられる軽い圧迫感。その瞬間、自分が妄想好きというだけで、ずいぶん遠いところまで来てしまったものだと妙に可笑しくなった。
「では、これから妄想課題をいくつか提示しますので、画面の指示に従って想像してください」目の前のディスプレイが点灯し、「あなたは空を自由に飛び回っています」と表示された。深呼吸して目を閉じる。空を飛ぶ自分を思い描く。風の感触や、雲のきらめきまでイメージする。しばしの妄想タイムが続く。やがてヘッドギアが静かに外され、パネルの前にいた研究員がA木氏に何やら紙に出力されたデータらしき物を手渡した。
彼は小さく頷き、こちらに戻ってきた。
「おめでとうございます。あなたの妄想力は……M3です。」
私は思わず「M3?」と聞き返す。
彼は、にやりと笑って言う。
「妄想力は0から5まであって、単位はMです。M0が現実主義者。寝る前に布団で空想するくらいならM1。M2は夢をちょっとだけ現実にできる人。M3からが、いわば“妄想界”の中堅どころです。たとえば、自分のコミュニティ内で言葉や話術で周囲を納得させるレベル。」
「Mって、まさか妄想のMですか?」 と聞くと、 「いやいや、マンデラのMです。マンデラは、あのネルソン・マンデラです。”妄想力学”を体系化した彼のイニシャルからきています。」 って返ってきた。A木氏曰く、研究所では実際にM3以上の妄想力を持つ人たちを集めて、さまざまな社会実験を行っているそうだ。たとえば、「M3の妄想力を持つ人50人が同時に意識を集中すれば、房総半島を走る電車の速度を安全な範囲でコントロールできるか」など。私は思わず、房総半島を妄想で暴走する電車を想像してしまった。
さらに、M4は国レベルで大衆を動かす能力を持ち、一国の大統領等の中にはM4の人が結構いるらしい。ネルソン・マンデラもその一人、M5になると、それはもう神の手、スター・ウォーズのフォース使いのごとく、現実世界で人や物を自在に操ることができるらしい。
「それ、本当にマンデラが考えたんですか?」と尋ねると、研究員の一人が「考えたというより、現在においても科学的に証明されていないその能力を自覚し認め体系化したんです。だから、反アパルトヘイト運動という大きなムーブメントを起こし、長年の投獄も乗り切って歴史を変える程の業績をあげることができたんです。」と言った。
うーむ、私は今までなんとなく自分でも信じていた運命的なものは、これだったのかと考えていた。でも、フォース使いで言うとパダワンのレベルなのかぁ。
色々と聞きたいことが山ほどあったけど、帰りの飛行機に乗り遅れそうだったので、後ろ髪を引かれる思いで研究所を後にした。こうして、私の初“妄想力学”体験はあっさりと終わってしまった。
それから1ヶ月余りが過ぎ、自宅で私はぼんやり考えている。私はH野氏率いるセナリ学院に今年の2月から参加しAIについて学んでいて、その発展の速さに驚きを隠せない。奇しくも、今日はその学園の入学式で、ZOOMで参加しながらこれを書いている。
今はAIと会話して色々なことができるようになって、マルチエージェントやAtoAが実現している。そのうち、孫悟空の頭にはめられている緊箍児のようなデバイスを自分の頭にのせてスマートフォンに向かって妄想するだけで、文章を書いたり、アプリを作ったりできる日が来るのだろうか。
(2025.05.10作成)written with AI
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